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63件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1976-01-22 第77回国会 参議院 決算委員会 第3号

二点目は「スト権ストに伴う損害の賠償を関係労働知合に請求する。」。三点目は「役員は、給与の一部を辞退する。」。三点目の年六千万円に足らない給与の辞退などというのは、まさにナンセンスと言わざるを得ない。国鉄当局はもっと、先ほどから指摘しているように、国鉄の赤字の原因というのを胸を張って、要求するものは要求するという姿勢をなぜとらないのか。

案納勝

1965-03-23 第48回国会 衆議院 地方行政委員会 第20号

今日農業関係者所得水準の向上を国としても積極的に進めていかなければならない際でありますのに、農業協同組合が従来の町村単位そのままで、あたかも役員のための農業協同知合の観を呈しているところも相当あるわけでございます。今回の法律につきましても、こういうことをお考えになっているだろうとは思いますが、第十三条の二項に「公共的団体等」という名前のもとに「統合整備を図るように努めなければならない。」

奥野誠亮

1954-05-18 第19回国会 参議院 内閣委員会 第37号

昨日も私の知合のまあ既成服の問屋なんかやつている神田のほうで働いている人が来て、どうにも困つた、このままやつているのでは、夏前には自分たちは、殆んど手形取引もしてないで、現金決済をやつてるんだから、全然売れなくなつた、それでこういう状態なら、秋まで自分たちも商売をやれるかやれないかわからん。新聞紙面の問題も申すまでもないような状態で、今のような数字上わりかたらくなように見える。

芹澤彪衞

1954-04-01 第19回国会 参議院 建設委員会 第20号

石井桂君 貸付について一つ質問をしたいと思うのですが、非常に今までは抽せんが何といいますか当りが悪かつたものですから、住宅を建てたい人が知合名前や何かを利用して、二人分とか三人分とか申込んであるようなのです。ところが実際に建てたい人には当らないで、自分の影に立てた人に当つちやつたというようなことがままあるのです。

石井桂

1953-02-25 第15回国会 参議院 内閣委員会 第10号

我々は当初に申上げている通りに、総理がこの問題について考えるのに、内閣に官制によらない、極めてフリーな、まあ意見を聞いて参考にするというために寄せられたのでありまして、これも広く、各界から選挙でなくても、推されてやつたというのじやない、全く総理自分の肚をきめるのについて知合の者のうち少しずつ方面の違つた者を寄せようといつたような気持のようでした。

石黒忠篤

1950-07-27 第8回国会 参議院 地方行政委員会 第11号

小笠原二三男君 私の聞くのは、本当に適正な評価をして、適正な税をかけるということについて、專門の技術を持ち、税を徴收する税務員とも違うこうした方々によつて、而も何と申しますか、見知合であつたり、或いは町村自治体等に対して寄附その他を以てふだん恩恵を與え、或いはうまくない言葉で言えば、圧力を與えるような事業場、工場に対して真に適正な評価が行われないのではないか、或る種の運動があればべら棒なことになつてしまうのではないかという

小笠原二三男

1950-07-26 第8回国会 参議院 地方行政委員会 第10号

石川清一君 只今の報奨金ですが、少くも政府が成文化する上は、やはり納税する一つの層を目当にしまして、これが奨励金というものは罰則と或る程度見返りをしまして、相対的な立場を以て、これで以て知合納入という方向へ誘導して行くという一つの理論的なものも持つておらなければならんと思います。

石川清一

1950-04-11 第7回国会 参議院 法務委員会 第23号

その頃絹川さんと、佐藤君が知合だということを私はよく知らなかつたのです。ところが絹川さんの大家さんが佐藤氏の何とと申しますか、事業の非常に大きなパトロンだつたらしいので、事業関係で神戸へ行つたり何かした頃、佐藤絹川さんのところに行つて御馳走になつたり、お土産を貰つて帰つたりしておつたらしいのです。絹川さんが出て来られたら是非一回会合を設けたいと、こういう話を私を介して頼まれたわけなんです。

吉武辰雄

1950-04-11 第7回国会 参議院 法務委員会 第23号

証人吉武辰雄君) 岡田さんはどこの関係知合つたか知りませんが、何の関係つたかちよつと記憶にないのですが、非常に立派な人だということを印象付けられておつたわけです。そのうち佐藤氏が出入りしているうちに、岡田さんがビールをあれすると言うから、陣中 見舞いをしたいと、こういうふうに何か岡田さんが、下山さんと何か知合つている、知合いつたとか何かという話だつたのです。

吉武辰雄

1950-04-07 第7回国会 参議院 法務委員会 第21号

証人佐藤昇君) 岡田君の場合は、岡田君と知合になりましたのは、よくはつきり知合つたの昭和十一年に鐘紡行つてから知合つたのですが、一番最初スポーツで帝大病院に試験台になつておるときにちよつと会つたことがありますので、元へ戻せばそれからになりますが、交際を始めたのは大体鐘紡行つてからだと思います。それから現在もずつと交際しております。

佐藤昇

1950-04-06 第7回国会 参議院 法務委員会 第20号

岡田秀男との知合関係でありますが、昭和八年頃に知合いまして、昭和十一年佐藤鐘紡に入りました後に、岡田商工省商務局にいた関係で、鐘紡にしばしば出入をしておつた、その関係で懇意になつたのでありますが、特に終戰後岡田と懇意になつた。で、岡田秀男に対して佐藤が金をやりましたのは、昭和二十一年の春頃から二十四年の春頃までに合計二十三万円ぐらいを出しております。

岡崎格

1950-04-06 第7回国会 参議院 法務委員会 第20号

委員長伊藤修君) その供述書の中に、これから申上げるようなことがありますかどうか、お答え願いたいと思いますが、第一に土田精三との交際関係、特に土田品川署長在任中の行動に関する事実や、土田のために世話したり、土田の世話になつたりした事実、第二に岡崎英城丹羽喬四郎等との知合関係のこと、電気クラブに貸して、それを丹羽に返して貰ろうまでの経過、第三に電気クラブ岡崎丹羽会合を開いた回数、出席者氏名

伊藤修

1950-04-06 第7回国会 参議院 法務委員会 第20号

それから第二に岡田秀男との交際金品授受会食、商品の納入、知事に紹介等、第三に東舜英渡邊年之助、渡邊良夫江花靜との間の金品授受、第四に福田篤泰との間の金員授受、その使途吉田茂氏との関係、小切手の受取人吉田大磯私邸訪問の事実、第五岡崎英城丹羽喬四郎との知合関係金員授受、その使途会食関係、第六増田甲子七氏との知合交際関係増田氏より礼を言われた経過、第七藤井孝との知合、交際関係昭電事件前後

伊藤修

1949-12-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

ただ私の二、三の知合の場合を考えて、よく言われますが、なんだか分らない、何も分らない、或いは無実の罪によつて投獄されておるというような話も聞きます。或いはそういうのもあるかも知れませんが、それは法律をどういうふうに、つまり法律を知らないために説明がつかない。或いは通訳がうまくその人の通訳をしてやれなかつた。つまりうまく申し立てることができなかつた

木村慶一

1949-12-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

戰後結婚された者はまだ新らしいですから日本人生活態度、習慣、服装、容貌等日本人であることがはつきり分りますし、又知合の人も沢山ありますからこれは確実に分ります。ただ朝鮮人の奧さんになつている方が残つている中で一番多い数です。それからロシヤ人結婚なさつた女性も、これは余り多くでありませんが相当おります。いずれも無理のない動機で、例えば恋愛などによつて結婚なさつた人が多いようです。

木村慶一