1976-01-22 第77回国会 参議院 決算委員会 第3号
二点目は「スト権ストに伴う損害の賠償を関係労働知合に請求する。」。三点目は「役員は、給与の一部を辞退する。」。三点目の年六千万円に足らない給与の辞退などというのは、まさにナンセンスと言わざるを得ない。国鉄当局はもっと、先ほどから指摘しているように、国鉄の赤字の原因というのを胸を張って、要求するものは要求するという姿勢をなぜとらないのか。
二点目は「スト権ストに伴う損害の賠償を関係労働知合に請求する。」。三点目は「役員は、給与の一部を辞退する。」。三点目の年六千万円に足らない給与の辞退などというのは、まさにナンセンスと言わざるを得ない。国鉄当局はもっと、先ほどから指摘しているように、国鉄の赤字の原因というのを胸を張って、要求するものは要求するという姿勢をなぜとらないのか。
今日農業関係者の所得水準の向上を国としても積極的に進めていかなければならない際でありますのに、農業協同組合が従来の町村単位そのままで、あたかも役員のための農業協同知合の観を呈しているところも相当あるわけでございます。今回の法律につきましても、こういうことをお考えになっているだろうとは思いますが、第十三条の二項に「公共的団体等」という名前のもとに「統合整備を図るように努めなければならない。」
ただ、集団的にああいった職場離脱のような件為は、もう当初から非常にわれわれも避けてもらうように考えて、何度も知合の方へお話をしたのでありますが、そういったような事態で、われわれとしてはまことに遺憾に存ずる次第で点ります。
昨日も私の知合のまあ既成服の問屋なんかやつている神田のほうで働いている人が来て、どうにも困つた、このままやつているのでは、夏前には自分たちは、殆んど手形取引もしてないで、現金決済をやつてるんだから、全然売れなくなつた、それでこういう状態なら、秋まで自分たちも商売をやれるかやれないかわからん。新聞紙面の問題も申すまでもないような状態で、今のような数字上わりかたらくなように見える。
○石井桂君 貸付について一つ質問をしたいと思うのですが、非常に今までは抽せんが何といいますか当りが悪かつたものですから、住宅を建てたい人が知合の名前や何かを利用して、二人分とか三人分とか申込んであるようなのです。ところが実際に建てたい人には当らないで、自分の影に立てた人に当つちやつたというようなことがままあるのです。
旧軍人に報いるには、政府の原案を私はよく読んでみましたし、知合の方にもいろいろ伺つてみたが、現在の日本でできる最大のものらしい。
我々は当初に申上げている通りに、総理がこの問題について考えるのに、内閣に官制によらない、極めてフリーな、まあ意見を聞いて参考にするというために寄せられたのでありまして、これも広く、各界から選挙でなくても、推されてやつたというのじやない、全く総理が自分の肚をきめるのについて知合の者のうち少しずつ方面の違つた者を寄せようといつたような気持のようでした。
そこで高橋の証言とを睨み合せまして、関及び山下を調べました結果、関と山下との知合関係は、山下が終戦後において自動車を売込みに行つたということからの知合というふうに承知しております。この点は関と山下の供述がほぼ一致しております。
これは普通特に大橋氏でなくても、或いは知合とか友人とかいうものが来れば、一応の口添えはしてやる私の性質だつたものですから、特別にこの点について口添えすることによつて特別の疑惑とか特別な惡いことをしたというふうには思つておりません。
○カニエ邦彦君 大橋武夫氏との関係はどういうような関係で知合つたのか、それはいつ頃から知合つているか、そして、どのくらい話合をしたか、そういう点について伺いたい。
○小笠原二三男君 私の聞くのは、本当に適正な評価をして、適正な税をかけるということについて、專門の技術を持ち、税を徴收する税務員とも違うこうした方々によつて、而も何と申しますか、見知合であつたり、或いは町村自治体等に対して寄附その他を以てふだん恩恵を與え、或いはうまくない言葉で言えば、圧力を與えるような事業場、工場に対して真に適正な評価が行われないのではないか、或る種の運動があればべら棒なことになつてしまうのではないかという
○石川清一君 只今の報奨金ですが、少くも政府が成文化する上は、やはり納税する一つの層を目当にしまして、これが奨励金というものは罰則と或る程度見返りをしまして、相対的な立場を以て、これで以て知合納入という方向へ誘導して行くという一つの理論的なものも持つておらなければならんと思います。
しておりませんが、大体今まであなたのお知合のところで、この條項でどこが違つておるということを、或いはお聞き及びならば、どの点が悪い、どの点を改めて欲しい、そういう具体的のことを私は伺いたい。それを承らんと、我々の参考にならんと思います。
○証人(渡邊良夫君) 増田さんとは党の先輩であり、又最初知合いましたのは、増田さんが運輸大臣時代に私が内閣の嘱託とし、或いは農林大臣の吉田首相の兼設の大臣の祕書官として、当時において知合つたわけです。
○羽仁五郎君 ちよつと委員長、念のために伺つておきたいのですけれども、佐藤という方をお知合になつたのはどういう御関係ですか。
相当前から知合のような状況だと思います。
その頃絹川さんと、佐藤君が知合だということを私はよく知らなかつたのです。ところが絹川さんの大家さんが佐藤氏の何とと申しますか、事業の非常に大きなパトロンだつたらしいので、事業関係で神戸へ行つたり何かした頃、佐藤が絹川さんのところに行つて御馳走になつたり、お土産を貰つて帰つたりしておつたらしいのです。絹川さんが出て来られたら是非一回会合を設けたいと、こういう話を私を介して頼まれたわけなんです。
○証人(吉武辰雄君) 岡田さんはどこの関係で知合つたか知りませんが、何の関係だつたかちよつと記憶にないのですが、非常に立派な人だということを印象付けられておつたわけです。そのうち佐藤氏が出入りしているうちに、岡田さんがビールをあれすると言うから、陣中 見舞いをしたいと、こういうふうに何か岡田さんが、下山さんと何か知合つている、知合いだつたとか何かという話だつたのです。
○大野幸一君 警察幹部と自然に知合つたというお話ですが、自然に知合うという以上は、しよつちゆう人のことや何かで頼みに行つて知合いにならなければならんというわけで、ただぶらつと行つて自然に知合つたというのはどういう意味ですか。次から次に紹介されたという意味ですか。
○証人(佐藤昇君) 岡田君の場合は、岡田君と知合になりましたのは、よくはつきり知合つたのは昭和十一年に鐘紡に行つてから知合つたのですが、一番最初スポーツで帝大病院に試験台になつておるときにちよつと会つたことがありますので、元へ戻せばそれからになりますが、交際を始めたのは大体鐘紡に行つてからだと思います。それから現在もずつと交際しております。
岡田秀男との知合の関係でありますが、昭和八年頃に知合いまして、昭和十一年佐藤が鐘紡に入りました後に、岡田が商工省の商務局にいた関係で、鐘紡にしばしば出入をしておつた、その関係で懇意になつたのでありますが、特に終戰後に岡田と懇意になつた。で、岡田秀男に対して佐藤が金をやりましたのは、昭和二十一年の春頃から二十四年の春頃までに合計二十三万円ぐらいを出しております。
○委員長(伊藤修君) その供述書の中に、これから申上げるようなことがありますかどうか、お答え願いたいと思いますが、第一に土田精三との交際関係、特に土田が品川署長在任中の行動に関する事実や、土田のために世話したり、土田の世話になつたりした事実、第二に岡崎英城、丹羽喬四郎等との知合関係のこと、電気クラブに貸して、それを丹羽に返して貰ろうまでの経過、第三に電気クラブで岡崎、丹羽が会合を開いた回数、出席者氏名中
それから第二に岡田秀男との交際、金品授受、会食、商品の納入、知事に紹介等、第三に東舜英、渡邊年之助、渡邊良夫、江花靜との間の金品授受、第四に福田篤泰との間の金員授受、その使途、吉田茂氏との関係、小切手の受取人、吉田氏大磯私邸訪問の事実、第五岡崎英城、丹羽喬四郎との知合関係、金員授受、その使途、会食関係、第六増田甲子七氏との知合交際関係、増田氏より礼を言われた経過、第七藤井孝との知合、交際関係、昭電事件前後
ただ私の二、三の知合の場合を考えて、よく言われますが、なんだか分らない、何も分らない、或いは無実の罪によつて投獄されておるというような話も聞きます。或いはそういうのもあるかも知れませんが、それは法律をどういうふうに、つまり法律を知らないために説明がつかない。或いは通訳がうまくその人の通訳をしてやれなかつた。つまりうまく申し立てることができなかつた。
戰後結婚された者はまだ新らしいですから日本人の生活態度、習慣、服装、容貌等も日本人であることがはつきり分りますし、又知合の人も沢山ありますからこれは確実に分ります。ただ朝鮮人の奧さんになつている方が残つている中で一番多い数です。それからロシヤ人と結婚なさつた女性も、これは余り多くでありませんが相当おります。いずれも無理のない動機で、例えば恋愛などによつて結婚なさつた人が多いようです。